ドラマ陸王原作小説プロローグ(序章)のあらすじネタバレと感想考察



ドラマ陸王原作小説プロローグあらすじネタバレ

宮沢紘一(こはぜ屋社長)は、若手行員たちのまとめ役である安田利充(こはぜ屋係長)が運転するトラックで菱屋に向かっていた。

菱屋とは業界では知らないものがいない老舗の足袋業者だ。

その菱屋が5日ほど前に1度目の不渡りを出したことを知り、貴重なドイツ式八方つま縫いミシンを売ってもらうことになったのだ。

足袋業者が使うミシンは特殊で、もとは100年以上前のドイツで靴を縫うために開発されたものだ。

日本に渡ってから改良が重ねられ、当時国内に多くあった足袋を縫うためのミシンとして生まれ変わり、今でも使われているという生きた化石となっている。

ドイツの製造元はとっくに倒産していて、部品が壊れても国内に現存する同型ミシンの部品を再利用するしかない。

その貴重な部品を確保するためには、菱屋のミシンがどうしても欲しいという状況なのだ。

とはいえ、不渡り倒産となってしまった菱屋。

債権者がミシンを含め工場から根こそぎ持っていってしまったのではないかと、宮沢は道中気が気ではない。

今年40歳になる安田はのんきな口調で、落ち着かない宮沢を安心させようとする。

手に入れようとしているミシンは、他の人間には何の価値もないものだし、金にだってならないのだから。

二人は寂れた商店街に、菱形をふたつ重ねたロゴマークの看板を見つける。

路地を入っていくと、まるで明治時代の小学校のような工場があった。

数日前には従業員が足袋を縫っていたはずだが、工場には明かりも人影も見えない。

窓から内側を覗いてミシンがあることは確認できたが、社長の菊地と会えるだろうかと宮沢は落ち着かない時間を過ごす。

予想に反し、約束の時間よりも早く、社長の菊地自ら運転する旧型のクラウンがやってくるのが見えた。

菊地は今年65歳、創業120年を超える菱屋の4代目だ。

初代は商工会議所の会頭をつとめたほどの重鎮だったが、この50年での業績悪化は著しく、廃業に追い込まれたのだ。

不渡りは2回で銀行取引停止処分となる。

今回は問屋が飛んでしまって入るはずだった金が入らなかったというが、1回目の不渡りだから会社を畳むほど切羽詰まった状況ではない。

それでも、菊地は先細りの会社に見切りをつけて畳む決意をしたようだった。

迷惑をかけた相手にも手当で支払いができ、銀行の借金も工場を処分すれば何とかなる目途がたっている。

菊地本人は引退宣言をしているが、はたから見ても悠々自適の老後だとはとても思えない。

宮沢と安田は会社のある埼玉県行田市内まで戻り、馴染みの大衆食堂に入って遅めの昼食をとる。

そろそろ蓮の季節、6月のことだ。

ドラマ陸王原作小説プロローグ感想考察

なんとなく不穏な空気を感じるプロローグ。

詳しい説明もなにもないというのに、なにか事件でも起こっているのではないかと思わせるやりとり。

謎の糸口を探すように先の文章を読みたい気持ちにさせられる。

さすが売れっ子作家。

映像を見ているかのように、情景が目に浮かぶような丁寧な描写。

説明口調になってしまいがちな物語の始まりを、焦らず丁寧に描写している。

それでも飽きないのは、その展開がスピーディで流れるように場面が転換していくからなのか。

プロローグだけでも、埼玉県の行田市から宇都宮市まで移動するトラックの中、寂れた商店街を経て、菱屋という老舗足袋業者の工場付近、建物内部、さらに行田市に戻って馴染みの大衆食堂、会社に戻るまでが描かれている。

ほんの6ページほどの間でポンポンと移り変わる景色。その中で最低限の情報も開示されている。

同業者の倒産によって特殊なミシンの部品を手に入れるというあたりで、明言はしていないけれど、主人公と思われる宮沢紘一は足袋業者の中小企業社長なんだろう、と想像できる。

さらに、足袋という時代の流れとしては廃れていくであろう会社ということで、池井戸さんお得意の中小企業が再起をかけた闘いを繰り広げるストーリーだろうな、と深読みしてしまう。

ルーズベルトゲームという作品では野球だった部分が、今回は陸上競技なんだろう、というのは表紙に描かれたランナーらしき人影と題名、そして帯に書かれたあらすじで分かってしまっているのだが、その予定調和がむしろ心地いい。

結果はたぶんこうだろうと思いながらも、その過程がどのように展開されるのか、ページをめくるのがすでにもどかしいほどのスタートダッシュ。

そんなプロローグの中でも身につまされるように感じるのは、主人公と同業者である菱屋の倒産だ。

今のまま、時代の流れには逆らえないと諦めてしまえば、未来のこはぜ屋は倒産してしまった菱屋と同じ道をたどることになるだろう。

それを暗示しているかのようなプロローグなのだ。

それはそのまま、今現在を生きる私たちの生活に通じるものがあるように感じる。

時代が悪い、世の中が悪いと諦めてただ惰性で生きてしまえば先はない。

時代が変わったのなら、その時代に合わせて自分も変わらなければいけない。

もちろんリスクはあるだろう。

それでも、そのリスクを飲み込んででも変わる努力をし続けなければ、自分が望むような明るい未来は手に入らない。

仕事は引退できても、人生からリタイアするわけにはいかないのだから。

プロローグだけでここまで考えてしまうのは、深読みし過ぎだろうか。

画像引用元:http://www.tbs.co.jp/rikuou_tbs/

  • このエントリーをはてなブックマークに追加